■総合型私の所見−15■
銀座4丁目交差点(東京都中央区)
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前回、地域との関わりについて、ボウリング場側の視点で述べさせていただきました。

今回は、社会的に見てボウリングの置かれる環境はどうなのだろう、という点で提言させていただきます。


地域の方々、というか一般の市民はボウリングをどの様に捉えているのでしょうか?

「娯楽」だとか、「生涯スポ−ツ」だとか、「健康スポ−ツ」だとか言う前に、確認しておかなければならないことがあると思います。

それは何かというと、一般市民にとって「ボウリング」と「ボウリング場」は同じイメ−ジで捉えているのかということです。

何を言いたいかというと、「ボウリング」という種目の価値と、「ボウリング場」という民間施設の存在が、同レベルの概念で意識されているのかということです。


ある知り合いのボウリング場支配人の言葉を借りると、「ボウリングはボウリング場がなければプレイ出来ないのであるから、ボウリング場の存在価値は大きいのだ」と主張されます。

果たしてそうなのでしょうか?

この言葉の意味を違う側面から解釈すると、「ボウリング場がなければボウリングはしたくても出来ないのだから、ボウリング場経営方針の方向性の中で利用者は楽しむしかないのだ」という様にも取れます。

現に、その様な経営形態が取られている所もあると感じます。

確かに、この論理には一理あると思いますが、それによってボウリングの将来性は保たれるのでしょうか?

私は、答えはノ−だと考えます。


サッカ−のJリ−グがスタ−トする際、サッカ−を地域の「文化」として育てるという理念を打ち出しました。

多面的な価値を見出す為には、市民感情に浸透した文化的存在感が必要なのだという理念です。

老若男女を問わず、人の心に残る活動・運営こそが、スポ−ツというジャンル枠に囚われず、人々のライフスタイルにテ−マとして訴えかけ浸透する「文化」でなければ地域社会に根付かないという、プレゼンテ−ションが必要であるということです。

地域住民がモチベ−ションを抱く活動の提案こそが、今のJリ−グを支えている基本理念であり基本構想なのです。


ボウリングも全く同じ事が言えると思います。

「ボウリング」という種目が、地域にとって貴重な「文化」としての存在感を育てない限り、多様化した現代社会で生き残ることは厳しいと思います。

せめて、狭小な範囲であっても、人の心を打つ・人々がこぞって価値観を感じる存在であってこそ、地域社会に順応した文化として根を生やすことが出来るのです。

そういった意味では、決して「ボウリング」と「ボウリング場」はイコ−ルではありません。

人々がボウリングという文化を楽しむ為の、環境や道具にすぎないのがボウリング場なのだという見方です。


この辺りの概念を履き違えてしまうと、ボウリング場という施設ありき・経営ありきの偏った考え方が先行してしまいます。

先ずは、ボウリングに携わっている方々が、この部分にもう一度立ち返って考えてみる必要があるのではないでしょうか?

ボウリング界という内向きの主張・感性は、社会生活の中では、中々文化として受け入れられないという事実を、真摯に受け止める必要があると考えます。


この辺りの概念が認識されてこそ、ボウリングが種目として地域スポ−ツクラブの運営・活動に参加できる出発点に立てるのではと考えます。

重ねて、是非ボウリング関係者にご一考をと提言する次第です。


(太陽系) 以下次号へつづく。

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