■総合型私の所見−16■
今回は、「ボウリング」という種目について考えてみました。 この協議会の目的が、中央競技者団体が競技施設・競技場として使用したり、会員記録の公認をしたりする為の、施設・設備への整備業務を受けたボウリング場の結束を図ることであるという観点から、「公認」という意味がどこにあるのか自分なりに考えてみました。 私たち一般庶民の考えからすると、スポ−ツ種目を競技したり楽しんだりする上では、常に「ル−ル」という公正な見地で裁定される決まり事があります。 どのスポ−ツ種目も使用施設に対して、そのル−ルに記載されている基準・規定により施設整備がなされ、常にプレイすることが可能で平等な状態として保たれていると思います。 それが、国際大会であっても、国内のトップ大会であっても、地域のロ−カル大会であっても、どの水準で開催されようとも、ル−ルが基本的に変わることはないと考えます。 時には、レベルに合わせたロ−カルル−ルの適用はされますが、根本となる基礎・基準は変わらないでしょう。 ところが、ボウリングの場合をインタ−ネットなどで調べてみると、先ず驚かされることは、愛好者を包括する団体が多々様々存在すること。 そして、その団体毎にル−ルが定められていることには驚かされました。 まして、ボウリング場の組合組織までが、競技大会を主催している現状にも本当に驚かされました。 日本のスポ−ツ界を統括する日本体育協会へ、「ボウリング」として加盟しているのは、財団法人全日本ボウリング協会(以下協会)という事になっていますから、一般的に考えれば、この協会が定めているル−ルが日本の規定ということになると思いますが、どうやら違った側面もあるようです。 この辺りが、ボウリングの社会性・地域性を高められないでいる要因の一つではないかとも考えられます。 協会のホ−ムペ−ジを見てみると、国際大会へ選手を派遣したり、国体の種目として主管したり、全国レベルの大会を主催したりしているようです。 という事は、協会が定めるル−ルが日本国内における基礎・基準ということが推測されますが、ボウリングに関しては強ちそうではないようです。 この辺りが、市民の認知度を低めている理由ともなっているのでは? なぜ、この様な状態になっているかは定かではありませんが、少なくともル−ル上の統一という作業は整備されなければ真のチャンピオンスポ−ツとしての価値は認められないでしょう。 そこで、冒頭に記した「公認」という価値観の問題になってくると思います。 この「公認」ということは、協会が認めるという行為へ繋がってるわけですが、その行為が日本の「基準」としての概念と定着していない印象を持ちます。 とすると、「公認」という価値観は、協会に加盟登録している競技者しか持ち得ない価値なのではないでしょうか? であれば、当然ボウリングの愛好者でもない一般市民が、その「公認」の恩恵・価値に供することは有り得ないということになるでしょう。 言うなれば、市民がボウリング場へプレイを楽しみに出掛けたとき、そのボウリング場が公認であろうが非公認であろうが、自らが楽しむ価値には何等影響を受けないということになります。 「公認」という意味が、狭小なマニアの世界だけで展開されている価値なのであれば、当然の如く市民の理解など得られるわけなどはありません。 ところが、この「公認」の位置付けが、例えば、地方行政も認めた価値であるのなら、住民にとっては大きな価値観として感じられるでしょう。 例を挙げると、学校体育においても、青少年の社会教育的な見地からも、健康・生涯スポ−ツの啓発・啓蒙においても、「公認」されていることへの市民の安心感や信頼度などへ大きな影響力を及ぼすことは言うまでもないと思います。 必然的な価値を生み出すためには、この「公認」という意味を社会的に高める努力をされているかどうかという点に、重要な問題点が潜んでいるのではないでしょうか? この社会的価値を高める為に、努力していかなければならないのは誰なのか? この部分は、おそらくボウリング界に携わっている方々が真剣に捉え研究されていないのではないかと推察します。 それが社会的認知度の低さとして表われているのではないでしょうか。 ボウリングを愛好し、競技として捉え日々プレイされている方々も、この部分をもう一度見直してみる必要があるのではないでしょうか。 独りよがりの「公認」は、現時点では決して「公」の価値ではないことを、ボウリングに携わっている方々が気付く必要があると感じます。 (太陽系) 以下次号へつづく。 |