| ■死と隣り合わせ■
5月15日午前8時すぎ、念願のチョモランマ登頂に成功。山頂から衛星電話で日本に報告をして下山開始。ここまでは順調だが、山は登ることより下ることの方がはるかに難しい。 体力を使い果たしていて余力がないのに加え、山の天候は午後が崩れやすい。そしてバランスの問題。階段を上るときに転んでも手をつければいいが、下るときだったらそのまま転げ落ちてしまうのと同じだ。チョモランマに登ったからと言って無条件に喜んではいられない。 山頂で偶然一緒になった日本人の登山家と下山することになった。40分ほどたったころだったか。山頂直下の急な氷壁を下りているとき、その人が「疲れたから休みたい」と訴えたので、ロ−プにカラビナをかけて体を固定し、腰を下した。 3分ほど一緒に休んでいると、突然彼が「う−ん」と声を上げて首をガクッと垂らした。肩の力がス−つと抜けていくのが分かった。「大丈夫ですか」と声をかけるが返事がない。 慌てて名前を呼んでみてもやはり無言。一瞬シ−ンと凍てつき、シェルパたちとぼうぜんとしてしまった。人口呼吸をしょうにも、私自身が極度の酸欠状態で息が出てこない。 あっという間に息絶え、死後硬直が始まった。身近にいながら何もできなかった。彼のシェルパが泣き出したので「君の責任じゃない。これがチョモランマの世界だ」と叫んだ。本当は私が泣きたかった。ご遺族には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。彼のお守りをせめてもの遺品と持ち、放心状態で亡きがらを仮埋葬、再び下山し始めた。 すると今度は私の酸素マスクが故障し、酸素が吸えなくなってしまった。酸欠で脳の機能が低下し、目がかすんで前を歩く人の背中がダブって見えた。3歩歩いては倒れ、前方を見たらほかの登山家のしかばねが横たわっていた。「おれは何が何でも死ねない!」と声に出して叫び続け、岩に体中を打ちつけながら転げ落ちるように少しずつ下りていった。 6時間に及ぶ必死の脱出劇の末、なんとか最終キャンプにたどり着いた。首を負傷し体中が痛んだが、生きていることにただただ感謝していた。 |