| ■招集礼状■
●画家 安野 光雅(あんの みつまさ) 氏(81歳) 19歳の時に招集礼状が届いた。山口県柳井市の暁19827部隊(本土決戦のための上陸用舟艇部隊)に入隊せよというのです。列車で出発して、翌朝着いたのは香川県の小学校でした。1小隊約35人で、97式短小銃という小銃が3丁しかない。竹のサヤに入った剣もあったけれど兵器なんてものではありません。上陸用舟艇もベニヤ板の船。漁船の焼き玉エンジンで「キカンコショウエイコウタノム」という手旗を何回も練習しました。 朝夕は竹筒に味噌汁を入れ、柳行李(やなぎごうり)のような弁当箱に麦飯が配られる。おかずは梅干一つ。みんな栄養失調になりました。腎臓など内臓がおかしくなり、やがて神経がやられます。どんなに食べても満腹感がなくなったり、食べられなくなったりする兵隊が出てきました。そんな中、初年兵を教育するといって、柱にとまってセミの鳴き声をさせられたり、突然軍人勅諭(ちょくゆ)を暗唱させられたりしました。蚊帳(かや)の中で屁(へ)をした奴があり、正直に名乗り出たその男は死ぬのではないかと思うほど殴られました。 8月15日は裏門で歩哨(ほしょう)に立っていました。すると、盗んだ軍需物質を自転車に乗せた上官が前を通りました。村人から「戦争は終わったよ」と知らされましたが、原爆も戦艦大和も知らない兵隊でした。仲間と別れるとき「兵隊の時のことは一生秘密にしよう」と誓いました。あんな非人間的な生活をした俺たちを忘れてしまいたかったのです。 |