■お母さん-2■
●映画監督・脚本家 新藤 兼人 氏(95歳) 家の前には大きな田があった。二毛作だから稲株を起こして麦を作る。この稲株を起こすのがお母さんの仕事だった。兄や下働きの男たちは他の山や田に大きな仕事があった。お母さんは食事や洗濯やらでうちにいて、暇をみつけては表の田に出て株を起こした。田の広さは目もくらむほどで、株は何万とあったが、お母さんは鍬(くわ)をふるってまず一株へ打ち下ろすのであった。15、6株を起こすと家に帰って仕事をし、暇をみつけては田へ行って株を起こすのであった。腰巾着のわたしはお母さんにまとわりついて、そのことを見た。 そして、とうとうお母さんは最後の一株を起こすのであった。その粘り強いエネルギ−を子供のわたしは何もわからなかったが、大きくなって、わたしが仕事をするようになって、しびれるほどの感動で思い出すのだ。お母さんはそのことを誰に誇るでもなく、やるべきことをやっただけだった。 お母さんは、わたしの家へ嫁入りしてきて、なにか幸せなことがあったのか、といま思う。4人の子を生み、激しい労働の百姓仕事をして、ただ消えたのであろうか。わがままに育ったわたしは、お母さんを蹴(け)ったり叩(たた)いたりしたが、お母さんは微笑(ほほえ)んで「カネさん、大きくなったら何になるの」。わたしをさん付けで呼んだ。 ああ、お母さん。 |