■総合型私の所見−21■
「貴婦人」マリ−アントワネットに捧ぐ 松田尚子 作
「貴婦人」マリ−アントワネットに捧ぐ 松田尚子 作


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学校施設を利用する上で、もう一つ考えなければならない存在は、PTA(Parent−Teacher−Association)組織です。戦後教育の基盤となる組織として、マッカ−サ−の指導の下に作られた「子供の福祉と教育効果の向上を目的とし、父母・教師が相互に協力して学校単位に組織された団体」です。言わば、通学する子ども達のために、学校内の環境を皆で築いていこうという主旨がここにはあります。

「現状はどうなのか?」と検証してみると、この組織自体が形骸化してしまっている点は否めません。先ずは、本来の「PTA」の考え方が、大半の父母に浸透されていない実情があります。特に、「父母・教師が相互に協力して」という部分が全く機能せず、只の父母会として認識されている部分が大でしょう。表向きは、教員も積極的な参加を促していますが、現実は出来れば触れたくない風潮になっています。

なぜ、その様な実態となってきたのでしょうか? 核心的な要因としては、父母と教師の間柄が、「協力」から「対峙・対立」の構図に変化してきてしまったからでしょう。

教員は、文部科学省が定める指導要領に即して、「人間教育」という観点よりも、パッケ−ジされた「評価教育」に移行させられてきました。その事によって、子ども達との肌の触れ合いとか、家庭も含めた総合的な環境を包含した教育を行なう事うよりも、行政から与えられた課題をこなすことが最優先にならざるを得なくなりました。つまり、民間企業と同じ様に、上からの指示によって動くサラリ−マン化された教育現場と変貌してしまったと考えられます。

余計な事には首を突っ込まない、放課後は自らに課せられた課題を消化する時間となり、小学校では「生徒との触れ合い・家庭環境の実情を知る」、中学校では「部活動を通して社会性を身に付ける」といった部分が欠落していきました。そういった環境の中で、次第に心の繋がりや挨拶・感謝・敬いといった、社会生活で最も重要な部分までも置き去りにされてきていることは事実なのです。その証拠に、「受験のための詰め込み学習」から「総合的な学習」という方針転換の中で、週休2日制の導入を行なった挙句に「学力低下」という評価を下すといった、大人社会のご都合主義に子ども達は振り回されています。

一番多感で柔軟に成長していかなければならない、小・中学校の9年間(義務教育期間)に、道徳・音楽・体育といった情操教育の時間数を割愛されるとか、学力低下の補填を民間の塾に求める傾向が、あたかも当たり前の様に行われているのです。その結果、子ども社会の形成は元より、大人との触れ合いも希薄となり、子どもの孤立化を生んでしまっていると考えられます。加えて、子どもが成長していく上で、積み重ねていかなければならない「心」の教育について、教員は「家庭」で躾けるものだ、父母は「学校」の教育方針が間違っていると、協力どころか対立構造が生まれてしまっています。そこには、教員と父母が積極的にコミョニケ−シュンを図っていくといった場が持たれず、互いに子どもを媒体として批判し合う構図も見え隠れします。本来、「PTA」という組織がその部分を担っていく場に成り得ると思うのですが、その任を受けとめる理念が存在しなくなっているのでしょう。

父母側から見ると、少子高齢化によって子どもの減少傾向に拍車が掛かっている現在、地域の公立学校へ通わせてやってるんだという高見意識が芽生え、学校側への要求も日増しにひどくなっているも実情です。都心では、各学年1クラスなどというのは当たり前となり、益々子ども社会の形成・子ども同士の結び付きが希薄になっていくことが抑止出来ないのです。ここで生まれてくる事は、学校に対しての父母側意識の中での既得権益なのです。ある時は、理不尽な要求を学校側に申し出る父母も出て、その代替策として何か勝ち得るといった交渉なども行われてしまいます。

つまり、学校への圧力行動が当たり前の様にまかり通っているのです。「我が子さえ良ければよい」といった、自己中心的な主張も多いと聞きます。これも本来、「PTAが調整役」が調整役として担っていかなければならないのでしょうが、その機能を果たす余裕すらも無くなっています。「子どもが主役」だという事を、忘れられてしまった組織になっていることに、父母も教員も気付いていない、否、気付こうとしていないのが悲しいことです。

そんな「PTA」組織に与えられている権利の代表的なものに、学校施設の使用権限(無料)があるのです。筋論では、前にも書かせて頂いた様に、学校施設の教育使用外の時間帯は、地域への開放というか地域社会が有効活用するということが建て前なのですが、実態はこの時間帯に「PTA」の権益で占有してしまっている状況は少なくありません。実は、総合型地域SCを運営していく上で、最も弊害というか障害になる存在が、この「PTA」の占有権なのです。

実際、「PTA」の親睦と友好を図るという目的で、サ−クル活動が行われている学校が大半だと思います。多くは、バレ−ボ−ル・卓球・バトミントン・フットサルどのスポ−ツサ−クルやコ−ラス・手芸・アロマティラピィ−などの文化サ−クルが存在すると思います。歴史的に見てもこれらのサ−クルには、地元教育委員会が推奨しているという大義名分が与えられてしまっている点が挙げられます。この一つ一つの媒体が、結果的に一部の父母の権利主張の場となっているのです。

要するに、子どもの減少によりサ−クルメンバ−が少なくなっても、このサ−クルを維持する為にPTAのOBをメンバ−に固定し占有権を確保しょうとしたり、地元の有力者を仲間に引込み、表向きはPTAサ−クル活動であっても、実態はある固定したメンバ−だけが楽しむ機会としている例は沢山あります。ここで一番問題なのは、このサ−クル活動が広く地域住民に開放される「場の核」と成り得ない点なのです。言うなれば、外部からの見知らぬ者は受け入れない、自分達が楽しむ環境を守り保持する、といった姿勢は全く崩そうとしないのです。

総合型の理念からはどうしても乖離してしまう活動が、施設の占有権を持ってしまっている事で、大きな障害となっている例は全国でも少なくないでしょう。この障害に苦労されている、又は、この障害から抵抗にあって、総合型の活動を断念した実例は多々あります。現PTAの父母の皆さんも、子どもが卒業してしまったら地域の住民として、学校という施設の存在を認識しなければならないことに気付いて欲しいものです。学校という存在は、地域のランドマ−クであるべきで、決して一握りの権利を有する者に与えられた施設ではないのです。

「総合型」の理念を推し進めている行政も矛盾や現実乖離が生じている点にしっかりと目を向け、現実に即した指導を行なう気構えが必要なのでしょう。これまでの歴史は歴史、実績は実績として、未来に向かってどうあるべきかを、地域が一つになって考える方向性を期待したいと思います。

(太陽系)次号へつづく

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