■癌を飼う■

●癌を飼う 作家 小川 国夫 氏

1951年のことです。ある朝、母がこれから大学病院に行くから一緒に行って頂戴と言いました。二人は大学病院へ行ったのです。わたしは、かたわらのベンチにいて、彼女が出てくるのを待っていました。1時間か1時間半たつと、彼女は出てきて、癌て言われちゃった、明後日切るから、出直してくるようにってことだ、と言いました。子宮癌のことでした。私が驚いていると、彼女はこのように続けました。─仕方ないよ。いいから、おいしいもの食べよう。食堂へ連れてっておくれ。

私たちは学食へ行って、豚かつを食べました。母はよく食べ、私は釣られて口へ運んでいるように感じました。家には義兄がいました。慶応病院のインタ−ンでした。彼は大変心配して、慶応病院へ入院の手続きをとってくれ、教授なども診察してくれて、結局は、切らないで経過を見ようということに落ち着いたのです。

やがて、1953年になって、母は一人で静岡の胃腸科の伊東病院へ行き、胃癌と診断されます。すぐに手術すると言われましたが、この時も義兄に相談すると、慶応で精密にしらべ、経過を見ようということになったのです。

三度目も胃癌と診断したのは、静岡の伊東病院だろうと思います。その時私はフランスにいて、姉からの報告で知った。姉の文面には、今度こそ手術を避けることはできない、あなたも帰国したほうがいい、と言っていました。追っかけ第二信が来て、お母さんは国夫は戻る必要はない、そちらに留まるように、と言っている、と書いてきたのです。私は迷ったのですが、結果は母の言うとおりにしました。そして、この時も彼女は手術をしなかったのです。

1988年、彼女はまた病院へ行きます。藤枝市立病院で胃と腸の癌と指摘されます。このたびは、多くのレントゲン写真にも、テレビ画面にも歴然と大きな患部が写し出されました。彼女の孫も専門医になっていて、水戸の赤十字病院から駆けつけてくれ、手術が必要なことを説きました。癌をくまなく摘出することはない、彼女はすでに84歳で、遠くない将来、他の疾患によって逝くことは目に見えている、その日まで癌の進行を抑えきればそれでいい、と見解を述べました。

やがて彼女は心臓発作で他界します。1992年、88歳でした。私が学生のころ、東大で癌と言われてから41年、その間、彼女は抗癌剤ものまず、冗談を言い明るく、病んでいる感じはありませんでした。

小川国夫の文学世界へ

前の「記事」へ戻る ボグ交差点21へ 次の「記事」へ進む

 全国ボウリング公認競技場協議会「トップページ」へ 「ボグ交差点・目次」へ