戦争は子どもを犠牲にする−2


第2回
第1回

●大人の物差しを疑う 写真家 大石 芳野(おおいし よしの)氏 1944生

サイゴンの宿舎にいると夜遅くに砲弾の音がする。案内のベトナム人学生が「また誰か死んだね」と言いました。街では子どもたちが道ばたに座って、物売りをしていました。遠くから眺めると、のんびりとした光景ですが、近づいて顔を見ると、それは本当に緊張した目。目が戦争を語っていました。

沖縄は72年から撮り続けています。今はすっかり「癒しの島」になり、沖縄移住がブ−ムで新しい住宅開発も活発。でもその陰で人々は戦争の傷を今でも引きずっています。今年も取材に行きましたが、生き延びた人たちは複雑です。戦争中の集団自決に関して、軍の関与を否定する教科書の問題にとても怒っていました。

このごろ日本の子どもたちはおかしくなっているといわれます。でも、それは大人がおかしくなっているからでしょう。あいさつもしない大人。相手を犬か木かモノと見ている感じ。電車内では人をかき分け、け落とすように座る。これは権力の座をめぐっても同様です。こうした大人たちが大人の物差しで子どもを見ようとするので、子どもたちは窮屈になっています。

子どもは遊ぶことが仕事です。それなのに遊びを少なくして、書いたり計算したりの勉強を増やそうというのは大人の物差しによる考え方です。世の中の大人たちは自分が子どものころ、どうだったのか、何を見て、何に触れたのか思い出してほしい。

戦渦に巻き込まれた子どもたちを取材して思うのは、日本の子どもも彼らと無関係ではないということです。日本は自殺者が年間3万人を超える社会。「戦場」でもないのにこれだけの死者が出る。子どもが子どもを殺す事件も起きている。幼児虐待もひどい。競争を良しとする社会づくりが進み、子どもが犠牲になっているとすれば、真剣に考える必要があります。

もう一つは平和の問題です。学生たちに私はよく問いかけます。みなさんはあと60年は生きる。その60年間、今と同じ状況で生きられると思いますかって。みんなびっくりします。戦争をしないで今後60年を過ごせるか、不安があります。どうしたら戦争を止められるか、よく議論しないといけない。知恵と外交能力がものすごく試されると思います。(おわり)

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