■農作業中に両手失い、ゼロから絵をスタ−ト■

阿蘇・杵島岳から米塚を望む
阿蘇・杵島岳から米塚を望む

●風の丘 阿蘇大野勝彦美術館 画家 大野 勝彦 氏 1944年生

平成元年7月22日、私はその日、ニンジンの植え付けの準備で、肥料の撒布機を使って畑に石灰をまきました。作業後、肥料の撒布機を洗っていて、機械の底の心棒についたゴミを取ろうとしたときでした。

ゆっくり回っていた機械に、「あっ」という間もなく、右手が巻き込まれてしまいました。そのときの激しい痛みは、容易に表現できませんが、「目の玉が飛び出る」っていえばいいんでしょうか。骨が砕ける音が聞こえ、激痛が全身に走りました。

右手がペチャンコになって機械の反対側から出てくる。何とかして取らなきゃと思い、必死に追いました。ところが、その左手も、一緒に巻き込まれてしまったんです。

叫び声を聞き、家から母親が飛んできました。しかし、母は肥料の撒布機の操作を知らないので、パニックで何もできません。私は足でスイッチをオフにするのが精いっぱいでした。

事故後、真っ先に私を救ってくれたのは家族でした。まず父が、両腕をタオルでしっかりと縛ってくれました。それでも血がどんどん流れてきます。意識も徐々に薄れていきます。そのとき、私を勇気づけてくれたのが、中学3年生だった長男でした。

「お父さん、座って。手を挙げて」長男はもがき苦しむ私を椅子に座らせ、鮮血が流れだす両腕を抱えながら、高くかかげてくれました。3人いる子供の中で、一番おとなしかったのに、何て成長したんだろうと、驚きました。

その後、つらいこと、苦しいことに直面すると思い出すのが「お父さん頑張って」という、あのときの長男の言葉です。

2時間以上かかって病院に搬送され、6時間の手術。目が覚めたとき、メ−カ−の人が肥料の撒布機から引っ張り出してくれた両手は、すでに火葬されたと知りました。(つづく)

大野勝彦ホ−ムペ−ジへ

前の「記事」へ戻る ボグ交差点24へ 次の「記事」へ進む

 全国ボウリング公認競技場協議会「トップページ」へ 「ボグ交差点・目次」へ