■ころんだら、起きればよい 鬼塚喜八郎■

 

●ころんだら、起きればよい。鬼塚喜八郎「失敗の履歴書」

はじめてのサラリ−マン生活は戦後3年でつまずいた。私利私欲の経営者に愛想を尽かしたからだった。

そしてある日、「もし神に祈るならば、健全な身体に健全な精神があれかしと祈るべきだ」という言葉を聞いた。スポ−ツは健全なる心身を育成していく最良の方法だと知った。戦後の混乱期のその時、すさんだ青少年たちを早く立ち直らせるためにはスポ−ツが役立つに違いない、そしてその普及こそが自分の務めだと感じた。

そこで靴屋を始めようと思った。なぜ、靴屋だったのか。靴はあらゆるスポ−ツに欠かせないと思ったからだ。当時は、たいていのスポ−ツがズック靴か地下足袋で代用されていた時代だった。青少年が全力で打ち込み記録が伸びるようなシュ−ズが必要だ。使命感に目覚めた。しかし、やみくもな思い込みだけだった。どんな靴がスポ−ツに合うのかわからない、まったくの素人だった。

初めてつくったのは、バスケットボ−ルシュ−ズだった。ある高校の監督からの依頼だった。新しい仕事への挑戦に心がときめいた。仕事場にこもり、見よう見まねで、連日深夜まで作業をしてなんとかカタチにした。しかしそのシュ−ズを監督に届けると、わらじのようだと床にたたきつけられた。練習場で球拾いしながら、選手の足を見ながら、選手ひとりひとりから意見や注文を聞きながら、改良に改良を重ねた。しかし、グリップの悪さだけはどうにもならなかった。

夏のある日、母親が夕飯にキュウリの酢の物を作ってくれた。その時、皿の中にあったタコの足の吸盤に目が止まった。この原理を靴底に応用すればいいかもしれないと思った。そして吸着盤型のバスケットボ−ルシュ−ズが生まれた。しかしそのシュ−ズは、グリップが効き過ぎて、ひっくり返る選手が続出した。吸盤のくぼみを浅くして、ようやく、急発進、急停車どちらも可能な鬼塚式タイガ−バスケットボ−ルシュ−ズが完成した。そのシュ−ズを履いた高校のチ−ムが優勝したのは、それから遠い日のことではなかった。(つづく)

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