■ころんだら、起きればよい-2■


第2回
第1回

●ころんだら、起きればよい。鬼塚喜八郎「失敗の履歴書」

品質に自信のあるシュ−ズが生まれた。しかし、知名度がまったくなかった。販路もなかった。自ら行商に出た。地方を回った。旅館には泊まらず駅のベンチで寝た。ろくなものを食べていなかった。

やがて肺結核にかかった。即刻入院を勧告された。当時はまだ治療薬がなかったが、なんともタイミングよく新薬が出て健康を取り戻した。体調がよくなると前向きになった。競技用のシュ−ズの種類を増やしていった。しかしまた1年後、結核菌が見つかった。今度は死の宣告にも等しい診断を受けた。会社の4畳半の宿直室にふとんを敷き、闘病生活が始まった。喉まで結核菌に冒され声帯が破壊されて声が出なくなった。毎朝社員を病床に呼び、言いたい事を紙に書いて仕事を続けていった。死期が近づいていることを感じていた。するとまた新薬が開発された。熱が引き、声も出始めた。実に二度までも新薬に助けられるという幸運に恵まれた。この時、スポ−ツシュ−ズづくりにすべてを尽くそうと改めて強く決意した。

つぎはマラソンシュ−ズの開発に没頭した。走るとマメができて当然。マメを克服してこそ一流という時代だった。しかしマメができないシュ−ズがあれば、もっといい記録がでるはずだと考えた。当時のトップランナ−に「そんなシュ−ズができたら逆立ちしてマラソンしてみますよ」と言われた。

さっそくマラソンに関する文献を貪り読んだ。欧米の研究書や日本の特許もくまなく調べた。しかしまだ科学的に研究されていない時代であり、答えはどこにも見つからなかつた。

ある日風呂場で何とはなしに自分の足をながめていて、はっと気がついた。人間のカラダのことは靴屋がいくら考えてもダメだ。肉体のことは医者がいちばんよく知っているにちがいないと大学の医学部の教授のもとへ走った。マメは火傷の現象と同じだということを知った。衝撃熱を冷やし、足の裏の炎症をいかに軽くするかという具体的な課題を得た。そしてヒントは意外なところにころがっていた。タクシ−に乗った時、エンジンが加熱して動かなくなってしまったのだ。運転手がラジエ−タ−に水を補給するのを忘れていたことが原因だった。その時、足も水で冷やせばよいと思った。

さっそくこのアイデアで新しいシュ−ズづくりに取りかかったが、結果は散々だった。シュ−ズの底に水を入れると、足が重くなり、しかもふやけてしまう。水冷式がダメなら、空冷式だと方針を転換した。シュ−ズの上部に目の粗い布を使い、前と横に穴をいっぱいあけて風通しをよくした。着地した時、熱い空気が吐き出され、足が地面から離れると冷たい空気が流れ込むという空気入れ替え式構造のシュ−ズができあがった。

逆立ちしてマラソンしてみせますよと言った選手に試してもらった。30キロではほとんど異常はない。42.195キロ完走しても、足の裏は少し赤くなった程度で、とうとうマメはできなかった。その選手は信じられないといった表情でいつまでも自分の足をながめていた。(つづく)

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