■農作業中に両手失い、ゼロから絵をスタ−ト-2■


第2回
第1回

●風の丘 阿蘇大野勝彦美術館 画家 大野 勝彦 氏 1944年生

こうなると、看護師さんや家族なしでは何もできません。何でも自分でやってきて、人に物を頼むことなんて慣れていないのに……。自分が弱っていくのを痛感しました。夜中、真っ暗な病室で重苦しい気持ちに襲われました。「もう、生きていても何もできない」。いらだちや不安に耐えられず、付き添っていた母に、つい、言ってしまいました。

「すぐスイッチを止めてくれとったら、おれは手ば、なくさんでもよかったかもしれん」母は「わ−っ」と泣き出し、病室を飛び出していきました。いまでも後悔している一言です。

筆を執るきっかけを与えてくれたのは、妹でした。「もう字は書けないかもしれん」。落ち込む私に、「おにいちゃん、腕でも書けるよ」と妹は言い切りました。そして、自分の腕にペンをくくりつけて、字を書いてみせてくれました。「書きたい。書いてみたい」事故3日後。看護師さんに「ずれて痛い」とうそをつき、ギブスを外してもらい、妹とこっそり、右腕に巻かれた包帯のすき間に、ペンを差し込みました。痛みと緊張を感じながら、ゆっくり書いていきました。

「ごしんぱいを おかけしました 両手先 ありませんが まだまだ これくらいのことでは 負けません。 私には しなければならないことが たくさんありますし おおくの人が 私を まだまだ必要としているからです がんばります 勝彦」

2時間かけて書いたのは、やつと芽生えた生きる希望の言葉でした。(つづく)

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