| ■いのちの香り■
●いのちの香り 渡邊 幹夫 氏 最先端企業のオ−ナ−たちが多く住む都心の超高層マンションの一室があるテレビの番組で映し出された。大きな無機質の窓の向こうには人工的な夜景が広がり、インタビュア−は盛んに美しいと連呼していた。確かに漆黒の空の下に広がる眩いばかりの灯りの群れはすぐそこに拡がる現実の闇の世界から目を奪うにはうまくできており、その美しさは潜在意識の中にあるなにかザワザワとした不安を包み込んでしまうのにちょうど良い大きさになっている。 室内の壁には洒落た絵画が飾られその下には大きなサイドボ−ドが配置され、そこにはコレクタ−のセンスを感じさせる様々なボトルと品のいいクリスタルグラスが並んでいる。部屋の中央には黒皮のゴ−ジャスな応接セットがド−ンとありその下の床には分厚い絨緞が敷かれている。 僕は畳の上で横になり、腕枕をして網戸の向こうから早くも鳴きだした秋の虫達の合唱を耳にし、襖ごしの寝床の足元で焚いている蚊取り線香のかすかな煙を鼻腔の奥に感じながらボ−っとテレビを眺めていた。生活感の全くない住まいは緊張感があって隙がない。炎の出ない電磁波で調理するキッチンでは煮魚のこぼれ汁の甘くこびり付いた匂いはしないと思うし、味噌汁の湯気から漂うあの大根の香りも多分しないと思う。梅雨時の黴臭さや生ごみから漂うあのすえた臭いも多分しないだろう。 でも、こういう生活ってちょっと疲れないかなというのが正直な僕の感想だ。いのちはいのちから生まれたいのちを食べ育ちいのちを終える。いのちは誕生から死に至る過程のなかで様々な香り、色、色彩を産み出し消えていく。僕はいのちが発する香りや音、色彩に囲まれ癒されながら毎日を生きている。窓から眺める音のしない美しい花火より、蚊と戦いながら庭先で火薬の匂いと炎の熱さを感じながらする線香花火の方を僕は選ぶ。 |