■故郷と日本に恩返し■

 

●故郷と日本に恩返し チベット声楽家 バイマ−ヤンジン 氏

声楽家として日本の舞台に立ちながら、全国の学校で故郷チベット(中国・チベット自治区)の話をしてきた。これまでに招かれたのは約700校。学校だけでなく、慈善団体からも声がかかる。語るのはチベットの遊牧民族の暮しと父、母、兄弟たちのこと、そして日本との違い。平凡な話だ。なのになぜ、自分に依頼があるのか、最初は分からなかった。

数年前、関西のある小学校で講演したとき「幸せですか」と子供たちにたずねた。「幸せ」と返事が返ってくるものと思っていたが、答えは「別にぃ」「分からん」……。「分からんわけ、ないでしょう。こんな立派な学校で勉強できて。お父さんが働いてお給料をもらって帰ってきて。家に帰ったらご飯があって。分からんわけ、ないでしょう」

本気でしかった。でも、子供たちはきょとんとしたまま。私から見れば、いろんなものに囲まれて恵まれているのに。価値あるものを持っていながら、その価値を分からないほど不幸なことはない。それを子供たちに気づかせるため招かれている。いまはそう感じている。

チベットの平均標高は4200m。「世界の屋根」と呼ばれる。夏は緑に覆われるが、長い冬はモノクロの世界になる。遊放民の家としては少ない8人兄弟の6番目。牛を300頭飼い、生活の糧としてきた。代々受け継がれてきた遊牧の暮し。学校で学ぶ習慣はない。両親は文字を学ぶことなく育った。いまでも遊放民の半数近い家庭が「字が読めても、放牧にも、乳搾ににも役立たない」と、子供たちを学校に通わせていない。だが両親は、8人の子供たちのうち、7人を学校に通わせた。

両親と兄の気持ちに応えようと必死で勉強した。家から300キロ離れた高校に進学したとき、宿舎の消灯時間は午後9時。夜間でも電灯が使えた校舎のトイレに本を持ちこんで午前2時、3時まで勉強した。冬はいてつく寒さで手足がしびれ、夏は臭くて倒れそうになった。

チベット出身で初めて国立四川音楽大(中国・四川省)に合格。声楽を学び、卒業後、その大学で講師になった。日本から来ていた夫と知り合い、結婚。平成6年、夫の故郷、大阪に移り住んだ。初めて見た日本は驚きの連続だった。満開の桜の大樹を下から見上げ、その美しさに目を奪われた。季節を問わず、ス−パ−には色とりどりの野菜が並んでいた。腕を振るおうと思っていた家事も、そのほとんどを電気製品が手伝ってくれた。

遊放民の嫁は火おこし、牛の乳搾り、洗濯、掃除、水くみ、食事の用意、燃料となる牛の糞集めに追われる。「天国に嫁にきた」と思った。同時に、チベットと日本は、なぜこうまで違うのか、と悩んだ。寺子屋が各地にあった江戸時代末期、日本は産業革命が起きた英国をしのぐ識字率を誇っていたことを知った。現代も学校があちこちにあり、子供たちは全員学校に通うことができる。「学校をつくれば、ふるさとが豊かになる」そう信じて、遊放民の子供たちのために学校をつくることを心に決めた。最初の小学校ができたのは平成12年。現在は小学校9校、中学校1校、あわせて2500人の子供たちが学んでいる。

講演に招かれたとき、大好きなチベット民謡と日本の唱歌「故郷」を歌うことが多い。

兎追いしかの山
小鮒釣りしかの川
夢は今もめぐりて
忘れがたき故郷

如何にいます、父母……

3番まで歌い終わると涙がこみ上げてくる。両親や兄、姉、そして故郷の風景が鮮明によみがえるから。日本に嫁に来たから私はチベットを知った。故郷の人たちのために、一生懸命、学んだことを生かしたい。そして日本にも恩返しをしたい。

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