■空気みたいな人■
●エベレストの一部になるところだった スキ−ヤ−・登山家 三浦 豪太 氏 1969年生 僕が2003年にエベレスト山頂から下山する途中、標高8600m地点でボンベの酸素が切れた。思わずバランスを崩して2−3歩、足に力を入れたのだが、そのわずかな動きだけで激しくあえぎ、坐り込んでしまった。 エベレスト山頂では酸素濃度が地上の3分の1。身体は希薄な空気の中から必死で酸素を取り入れるが、20回ほど思いっきり呼吸しても進めるのはたった一歩だ。 人間は酸素の生み出すエネルギ−分しか動けない。下界では息を止めてもある程度動けるが、それは直後に酸素を十分補充できるという条件付き。かたや標高8000mではいくら呼吸しても苦しさは変わらず、400m走を全力で延々と駆けているようなものだ。 しばらくすると手足から血の気がなくなり、視界がどんどん狭まってきた。脳への酸素供給が間に合わず、目を開けているのに真っ暗だ。 通常、身体は脳への酸素供給が一定に保たれるよう努力する。低酸素になると頚(けい)動脈小体が刺激され、呼吸や心拍数が早くなるのもそのメカニズムのひとつだ。しかし、心臓への酸素供給が度を超えて少ない高所では心臓が本来のポンプの役割を十分に果たせず、酸素を体に送るために必要な血液を押し出しにくくなる。 登山中はいくつもの死体を見た。横たわる彼らと生きている僕の明暗を分けているのは恐らく酸素だろう。酸素がなければ電池切れのロボット同様、動かなくなる。僕はエベレストの一部になってしまうことまで覚悟した。 唯一の望みは先行した父に付いている案内役のシェルパが持っている予備酸素だ。僕は一緒にいたシェルパに取ってきてくれと頼んだ。何時間かかろうが、それ以外に方法はない……。 ところがなんと、そのシェルパは「サ−、酸素ならここにありますよ」と言ってザックからおもむろに新品のボンベを取り出したのだ。僕はびっくりした。予備の酸素を持っていたのは、こちらのシェルパだったのだ。九死に一生を得た。 食物や水分がなくても数日は生きられるが、酸素がないと命は数分で消えてしまう。このとき以来、僕は「空気みたいな人」と言われるのが、最高の褒め言葉だと思うようになった。 |