■ものとの対話■

秋田新幹線 こまち
秋田新幹線 こまち

●大事に扱い生活に潤い インダストリアルデザイナ− 栄久庵 憲司 氏 1929年生

この砂時計、なかなかしっかりしているでしょう。私はこの部屋にいるときは、並んでいるものたちによく語りかけます。ものと対話していると、あのときはこうだった、などと思い出されてくるし、退屈しません。ものを通じて、つくった人の思い、つくられた時代の状況などいろいろ伝わってくるのです。自分の記憶だけではなかなか思い出せないことも、ものを見ていると思い出されてきます。

人間にこころがあるように、ものにもこころがある。人間世界と同じように道具にも道具世界があります。ものは人のこころを映している。ものの造形につくり手が自らのこころを込めたとき、使う人にもその思いが伝わるはずです。道具というのは、人の道に備わりたるもの。道具をそこに置くことによって、生活にも秩序が生まれ潤いが出てきます。

ものには人の思いが込められている。ものを友のように大切に感じ、同じ目線で大事に扱っていけば、愛着が湧く。そしてものが人に寄り添い、生き生きとしてきます。しかし、消費社会でものに対するおごりが出てきたのか、人間がものをまるで奴隷のように考え、使い捨ての対象としてとらえる発想が強まってきました。

今、問題になっている環境破壊は、ものとのコミュニケ−ションの足りないことの反映だとも思う。例えば自動車も持ったときは気持ちいいが、動かなくなるとけ飛ばしてしまう。今、ものが人間に対し、「私たちをもっと大事に扱ってほしい」ともの申しているのです。

広島の駅から見ると、町は真っ赤な夕焼けに包まれ、瀬戸内の海が見えました。「国破れて光あり」という光景を目にしたとき、消えようとしているものたちの「助けてくれ」という叫び声が、私の心に響いた気がしました。そのとき、ものをつくる世界にかかわれば、国のためにも自分のためにもいいことだと思ったのです。

私がインダストリアルデザインの世界に身を投じてから、ものづくりで心がけてきたことは、世の中に役立つ社会的に意味あるものを生み出そうということでした。

今、世界の約百ヵ国で愛されている卓上びんをデザインするとき、思い浮かべたのは母が一升瓶から小さい容器に苦労しながら移している姿でした。そこで、「古きを新しく見せる」をテ−マにしたのです。そこに赤いキャップを付けたのは、おいしさや温かさを表現するためでした。また、成田エクスプレスやこまちで赤を強調したのは、迎賓のこころ、おもてなしのこころを表したかったからです。

日本のものづくりが世界的に果たした役割は非常に大きかったと思います。ただ、ここへ来て日本の産業がつくっているものが、果たして人々の求めているものにどれだけ応えているのだろうか、との思いはあります。

今の時代、とかく効率が強調されがちですが、それでいいのだろうか。日本にはかつて針供養とか包丁供養とか、ものに感謝する伝統が受け継がれてきた。ものとの交流を通じて、自分の創造性を引き出してきたのです。若い人たちには、技術を究めることで人間としての発展、進化を図ることができることを教えてほしいと思います。そういう点で、最近、技能五輪で活躍する若い人が増えてきたことは頼もしいことです。

日本が外国に押されている今、どうするべきか。それにはものの価値を再発見していくことが、大切だと思います。

幕の内弁当は、あの限られた空間で、無限の可能性が生み出される。そしてこの幕の内弁当や茶室に見られる美学や伝統が、自動車やカメラなど日本を代表するものを生み出していったのです。それが伝統で、伝統はこころが伝わるものだと思います。人のこころとものの心の新しいつながりを求め続けたい、でもまだ道半ばですね。

インタビュ−14:栄久庵憲司氏へ

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