■江戸時代は情報社会そのもの■

東京墨田区・江戸東京博物館
東京墨田区・江戸東京博物館

●江戸時代の再評価 関西学院大学教授 奥野 卓司 氏

情報社会が過去に人類が経験したことのない社会というのは物語だ。また、今日のように、コンピュ−タ−や携帯電話が普及しているだけでは、情報社会になったとは言えまい。パソコン、携帯電話自体は工業製品だから、それが行き渡ったというだけでは工業社会の延長にすぎない。

そのような工業製品が存在しなくとも、過去にも「情報社会」と呼ぶべき社会はあった。たとえば、江戸時代の上方や江戸はそうだった。江戸時代には、浮世絵、黄表紙などのマスメディアが広く普及し、多数の芝居小屋が建ち、そこでは歌舞伎、今の文楽にあたる人形浄瑠璃、今の落語にあたる落とし噺(ばなし)が常に演じられ、普通の町民たちがそれを楽しんでいた。

富裕な町民の中には、その芸に肩入れして数奇者というスポンサ−になる者もいた。一般の町民はその芸をまね、そこから伝承の担い手になる者がでる。その芸を評価する目利きもいた。これらの人々が連をつくり、今のコミケ(コミックマ−ケット)のように、プロとオタクの連携組織が運営されていた。

そこまでいかなくとも、どこの長屋にも一人くらいは三味線のお師匠さんが住み、住民たちが清元などを習っていた。上方では丁稚(でっち)でも店の角で浄瑠璃の一段くらいは語れた。中には町民のなかから、卓越したア−ティストが生まれた。京都の錦の八百屋の息子、伊藤若冲はポップな動物画を描き、土佐では絵金が歌舞伎の妖しくも美しい場面を屏風(びょうぶ)に描いて通りを飾った。江戸の版元の蔦屋重三郎や、エレキテルの発明者の平賀源内、大阪の木村蒹葭堂など、そうした芸事、芸術に特に熱中してユニ−クな作品をつくり出したオタクたちをネットワ−クして、コンテンツビジネスを起業する者もいた。

このように、普通の人々が多様な小さい物語を生産し、編集し、流通させ、消費した江戸時代は情報社会そのものだ。工業社会の次に情報社会が来るのではなく、その時代の生業の生産力が極致に達し、過剰な生産が社会的意味を喪失した時に、その社会は必ず情報社会と化す。江戸時代は農耕社会の情報化時代。縄文時代は三内丸山遺跡の豊かな文化的蓄積からも、採集狩猟時代の情報社会と言える。

そうだとすれば、次なる日本の情報化社会実現のために、私たちは江戸時代と同様、多様な文化や芸術活動に力を入れることこそ、求められているのかもしれない。

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