■夢とロマンと希望を胸に−12■
●金融機関への思い (株)マルハン代表取締役会長 韓 昌祐 氏 今、マルハンは、売り上げ1兆円企業になった。京都にマルハン本社がありながら、「なぜ地元京都の主だった銀行と取引がないのか?」と、ときどき不思議がられることがある。話せば長い話になるが、それはぼくが一番苦しかったころに経験した融資差別が尾をひいている。その話を少ししておこう。 今から35年前も前から、京都の主だった銀行や信用金庫は、在日韓国人・朝鮮人事業者への融資に冷たかった。同じ京都でも、京都中央信用銀行に西村清二さんという人物がいて在日韓国・朝鮮人にお金を貸してくれた。ところが、お茶屋さんに貸しても、ぼくらには一切お金を融資してくれない銀行や信用金庫も京都にはあった。 1959年(昭和34年)か60年(昭和35年)ごろ、結婚をして名曲喫茶「る−ちぇ」を経営していたとき、京都のある銀行の支店に50万か100万円程度の小口の融資を受けようと思って行った。その時分は、「個人の保証人ではだめだ。公の信用保証協会の保証を取ってこい」といわれていた。ところが、ぼくは言われた通りに信用保証協会の保証を取って、個人の保証人も作ったのに、結局お金を貸してくれなかった。 ところが他方で、その支店では、お茶屋さんには、保証人を作るだけで200万円、300万円とお金を貸していた。ぼくに融資をしなかった理由は、ぼくが韓国人だったからなのか? あるいは、パチンコ業者だからダメだったのか? それはわからない。だが、ぼくは不公平だと思った。それ以来、ぼくは不公平な扱いを受けたと思う企業や金融機関とはおつきあいを避けるようにしている。 いつかその銀行を見返してやりたいと思っていた。そういう機会をうかがっていた。のちに、ぼくは 役場の職員はあわてていた。自治体への寄付は、その銀行が管理する慣例があるようだった。それで役場の職員が、「寄付するご本人が、他の金融機関を指名すれば入金できます」というから即座に「ぼくは、丹後中央信用金庫に預けます」と返事した。融資差別を受けた当時から、その銀行の支店長は何代も代わっている。いまの支店長には、ぼくが入金を拒否した理由などがわからない。 ある夜、偶然、バ−のカウンタ−で、ぼくの隣にその銀行の支店長が居合わせたことがあった。そのとき支店長が酔っ払っていて、少しからんできた。「社長! なんでうちに1億円を入れてくれなかったんですか?」冗談でも言うかのように、ぼくはちょっぴり脅かしてやった。「ぼくはな、君とこの銀行をずっと気にいらなかったんだ!」それから、じゅんじゅんと金融機関の融資に民族差別があることを体験談で話してやった。 ぼくの人生を振り返ると、先に語った日綿實業の松川部長や機械部、審査部の幹部の人たち、大阪の幸福相互銀行の米盛管理部長、豊岡市の但馬信用金庫の宮垣理事長、西陣信用金庫の藤本正夫理事長など、こういう忘れがたい恩人たちに励まされて、ぼくは莫大な借金返済に挑戦できた。それに心から感謝したい。(つづく) |