■子ども11人 与謝野晶子の日常■

愛知 津具村 村祭りの花火
愛知 津具村 村祭りの花火

歌人 与謝野晶子(1878年−1942年)。今年、生誕130年を迎える。鉄幹との間にもうけた11人の子どもを育てた。彼女の文業を考え合わせると、これは途方もないことである。大正末から昭和初期、40代の晶子が、一体どんな一日を送っていたのか。

起床は午前5時。東京・神田駿河台の文化学院で午前8時から授業、生徒の親に面会。正午に帰宅後、急ぎ雑誌の原稿執筆。別の雑誌の校正ゲラのチェック。深夜、また別のエッセ−を執筆………。ほかにも、頻繁な来客、13紙に及ぶ新聞のチェック、子どもの世話、裁縫仕事とめまぐるしい。与謝野家は「唯晶子女史の筆一本で支えられて居る」と石川啄木は日記に書いたこともある。

「春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳を手にさぐらせぬ」情熱の天才歌人の評価は「みだれ髪」で定まった。が、その後40年の情熱もすさまじかった。

与謝野晶子ネットへ

潮かおる 北の浜辺の砂山の かの浜なすよ 今年も 咲けるや 石川啄木
潮かおる 北の浜辺の砂山の かの浜なすよ 今年も 咲けるや 石川啄木

前の「記事」へ戻る ボグ交差点31へ 次の「記事」へ進む

 全国ボウリング公認競技場協議会「トップページ」へ 「ボグ交差点・目次」へ