■総合型私の所見−26■
多くの人々に注目される中で、北京オリンピックは華々しく開会され、連日熱く燃えた16日間は幕を閉じました。4年に一度、世界のスポ−ツの祭典、メダルスポ−ツの最高峰、全世界で盛り上がったことでしょう。日本選手団が帰国直後、選手団副団長から総括として、メダルを獲得するには選手強化費が足りない旨の意見が述べられました。各競技の「日本代表」を選出し強化する、メダルスポ−ツの大きなテ−マでしょう。確かに、1億2千万人の国民一人当たりが年間50円を拠出することで、何と60億円の強化予算を組むことが出来るというのは、計算上理解出来るのですが、日本のスポ−ツ環境が本当に個々のライフスタイルに欠かせない真のスポ−ツ文化として熟成され、国民の代表をオリンピックへ送り込むという意識が植え付けられているかというと、この点に関しては甚だ疑問に感じます。 オリンピックム−ドは、ある意味マスコミに扇動されたお祭り的な高揚感の中で、経験したこともないスポ−ツでもメダルが取れると国中が沸き上がり、一過性の国民総スポ−ツ評論家の様に化してしまいます。その証拠に、テレビの視聴率が50%にも及ぶことも度々あり、今までスポ−ツ中継など見たこともない人までが、夢中になって注目したことになるのでしょう。オリンピック麻薬とも言えるほど、国中がメダル獲得へ一喜一憂し、突如として芽生えた「愛国心」の様に日本選手の活躍を期待しました。私もその一人と言えるでしょう。 但し、オリンピックが終わって冷静になってみると、前述の副団長が発した選手強化費を国費より多大に拠出して選手強化を図り、8年後の「東京オリンピック」招致も成功させるというモチベ−ションに成り得るか、という事については、一部のスポ−ツマニア以外の国民が熱い気持ちを継続して持ち続けることが出来るかは疑問です。あるマスコミの世論調査によると、選手強化費を増額することに反対という方が85%に達しました。つまり、日本の現状では、国民がスポ−ツを生活の一部として必要とし、豊な生涯を送るためのツ−ルとして活用している環境が築かれていない現われなのではと感じます。確かに、メダルを取る為には、組織的な選手強化は欠かせないことでしょう。ただそこまで国民の「スポ−ツマインド」は高まっていないし、醸成されていないということなのでしょう。国民一人一人がスポ−ツを必要と思える施策こそ、日本のスポ−ツシ−ンを支える大きな力であることに立ち返る必要があると思います。 オリンピック憲章には、次の様に記されています。「オリンピック競技大会は、個人種目または団体種目での選手間の競争であり、国家間の競争ではない。オリンピック競技大会では、各NOCによって選ばれ、IOCがその参加を認めた選手たちが一堂に会する。選手は関係IFの技術的な監督下で競う。」要は、国家間のパワ−ゲ−ムとして評価してはならないという精神に、オリンピックは支えられているということです。 この憲章をどの様に解釈するか、ここに本質があると考えます。 国民が日々スポ−ツを謳歌し、スポ−ツ文化によって心身ともに健康な身体を宿し、充実した生活が営まれ環境を創ることこそが重要だと考えます。 一方、すでに報道等でご存知の方も多いと思いますが、以下のような告知がありました。 「8月4日、自民党の無駄遣い撲滅プロジェクトチ−ム(PT)は、文部科学省の主要事業について、必要性を点検するため都内で公開討論会(同党議員と自治体職員・有識者らが参加し文部科学省と議論)を開き、総合型地域スポ−ツクラブ育成事業を含む5事業について、必要性が認められないか、現行の制度や予算規模のままでは継続すべきでないとしました。」 このことで「総合型地域スポ−ツクラブ育成事業」の不要論(もしくは修正論)が、「地域スポ−ツクラブ」不要論と受け取られてしまうことが懸念されます。「クラブづくり事業」つまり、地域のスポ−ツ環境の変革が、短期間の内にドラスティックに達成できるわけがなく、ましてや、その他の仕組みや制度には手をつけずクラブ育成のみ進めていても簡単に答えが出ない中、政党の人気取りのような活動で、当事者不在のまま施策や事業を変えてしまおうとする姿勢に疑問を感じます。 事業の内容や進め方については、結果を見ながら時点修正をかけていくことも必要かもしれません。しかし、特に、本事業のように地域の人が主役となる事業について、途中で方針を変えたり、一方的に廃止したりしてしまうようなことが続けば、誰も、このような事業に真剣に取り組みたくなくなります。結果的には、ナレッジも集積されず、優秀な人材が育つべくもなく、何も残らず、ただ事業費が浪費され霧散していってしまう。「補助金をばら撒いただけ」という結論になってしまうわけです。育成事業に要した費用を、しっかりと生きたものとしていくためには、関係者が腰をすえて取り組んでいくことが必要だと思いますが。 こうした社会情勢の中で、「ボウリング」の様な民間経営のスポ−ツ媒体は、業界の意識次第・一丸となった対応によっては、社会的に強いイニシアティブが持てる可能性があるという持論を私は常に抱いています。 民間力の絶大な行使こそ、日本のスポ−ツシ−ンを大きく変革する糸口になると考えているからです。今まで、行政力に任せ切りだったスポ−ツ環境に対し、民間資本や民間運営の環境が地域社会に影響力を発揮することで、住民のスポ−ツマインドは大きく変化する可能性を秘めています。民間環境に対し、人は必要と思えるツ−ルには、多少高額であっても受益者として費用を払うことに違和感を持ちません。ところが、行政が主導する環境(当たり前に存在する環境)に対しては、価値は認めても拠出には後ろ向きとなります。 10年以上前からボウリング界が、チャンピオンスポ−ツ最高峰の「オリンピック参加」を目標に、世界的なロビ−活動を展開していたことは承知していました。ただ新しくメダルスポ−ツとして認知される為には、エネルギッシュなスポ−ツ価値を、競技者のみでなく住民レベルで感じられるム−ド創りが必要不可欠だと思っていました。世界中で、国家的に大きな「参加意識のうねり」が必然だったのでしょう。その点から考えてみると、民間企業が主導しているこの種目(競技?)が、地域社会で必要とされ認められるためのドラスティックな方策を講じ、地域ベ−スと真剣に向かい合い努力してきたかというと、その答えは全く「NO」と言っても過言ではないでしょう。やはり企業の収益・損得が先んじて、ボウリングという種目(競技?)が、真の「スポ−ツ文化」として地域に浸透するような努力は、全くと言って良いほど行われてこなかったでしょう。 マスコミへの露出やマスコット的なヒ−ロ−選手を創り出すことなど画策されたようですが、その事が、社会的認知を受ける浮揚手段として効力があったかというと、本質的な「ボウリング」の素晴らしさを露出させる手段にはならなかったと感じます。単なる遊戯場経営の企業であれば、厳しい社会情勢の中で埋没してしまうのは明らかなのではないでしょうか? ボウリング場経営者の皆様には、又、ボウリングを愛好している皆様には、今一度、本当に何が必要なのか、周囲の環境へアンテナを張って、ボウリングの本質・特質をもう一度見つめ直す必要があるのではないかと思います。 (太陽系) |