■夢とロマンと希望を胸に−15■
●哲ちゃん!なぜ、死んだ! (株)マルハン代表取締役会長 韓 昌祐 氏 静岡市の「静清フレンドボウル」の失敗で、莫大な借金を抱えた。そのときは死ぬか生きるかの瀬戸際まで追い詰められた。それはそれで大きなプレッシャ−を背負っていた。 ぼくは家内に、日ごろからこう言っていた。 ぼくの人生でもっとも辛かった出来事。それは長男の哲の夭逝だった。長男の哲は、京都府立峰山高校2年生だった。夏休みを利用して米国にホ−ムステイに行っていた。ヨセミテ国立公園のマ−セド川で川の真ん中にある岩に飛び移ろうとして着地した瞬間に、足場の悪い岩から滑り落ち、頭を打って流されていった。約200メ−トル下流で哲の遺体を発見したという。 ボウリング事業の大失敗でも自分を見失うところまではいかなかった。だが、哲の夭逝は、まるで自分の魂がどこかにいってしまったかのようにぼくを深く落ち込ませた。 これまで仕事一筋に生きてきた。子どもは7人になっていたが、それぞれにいろんな経験を積ませてきた。韓家の教育方針に、特にこれだというものはなかったが、要所要所で子どもたちにいい体験の場を与えてきた。あえて言うとぼくは善悪にだけは厳しかった。 振り返ってみると、いつも新しい事業を追いかけていた。子どもと一緒にお風呂に入ってあげることはできなかったし、学校の授業参観や、野球の試合も、ほかの親より行ってあげられなかった。子どもたちと遊んだ記憶も少なかった。民団の京都府地方本部の副団長をしていたころは、ボウリング事業と民団活動でいったん家を出ると4、5日間は帰らなかった。家内が子どもたちを守り、わが家は母子家庭のようなものだった。 しかもぼくは口では子どもの躾に厳しかったので、子どもを抱っこしたり、膝に乗せたり、じゃれあうような父親ではなかった。はたと気がつくと、ぼくには他の親より子どもとの思い出が少ないように思えた。長男哲との思い出を、もっともっと作っておけばよかったと悔やんだ。 そのころ毎日のように、哲の引き出しを開け、彼が残したいろんな品物を眺めて過ごしていた。引き出しから家内が哲に贈った一枚のバ−スデ−カ−ドが出てきた。子どもたちの誕生日に、家内は何か一言書いて贈っていたというのだ。 ぼくは思わず、家内にこう呟いていた。 (つづく) |