夢とロマンと希望を胸に−17
1981年マルハン峰山店に導入された平和のフィバー型機「ブラボ−」
1981年マルハン峰山店に導入された
平和のフィバー型機「ブラボ−」

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● (株)マルハン代表取締役会長 韓 昌祐 氏

1980年(昭和55年)の12月、パチンコファンを驚愕させる新型のパチンコ台が登場する。それが、パチンコメ−カ−三共が開発した超特電機フィ−バ−だった。

パチンコ台の真ん中で動いている仕掛けを「役物」と呼んでいるが、役物にICを使う時代に入っていた。フィ−バ−機をきっかけに、IC内臓のパチンコ台が増えていった。

翌年の1981年(昭和56年)には、フィ−バ−機が全国のパチンコ店舗を席巻し、一大ブ−ムが起きていた。そしてその年の2月に、今度はパチンコメ−カ−平和が、羽根モノ第一号機といわれるゼロタイガ−を発売した。三共と平和は同じ群馬県桐生市にあるメ−カ−で、ライバル関係にある。こうしてメ−カ−同士の競争が、技術開発を促していった。ハ−ドの進歩で、パチンコファンの客層が広がっていた。

それまでのパチンコファンは、勝負師のようなマニアが多かった。その人の腕前で勝っていた。ところがフィ−バ−機にはICが内臓されており、お客さまの技術的な力よりも、偶然性で大当たりするようにできていた。それだけにマニアだけでなく、ごくふつうのサラリ−マンやふつうの女性客が大当たりする頻度が高くなっていた。

ぼくは峰山町にいたとき、朝起きて新聞を6紙か7紙に目を通すのが日課になっていた。新聞を読みながらサ−ビス産業の未来について、いつも考えていた。これからは働く人々の明日への糧になるようなレジャ−産業が必要になる。パチプロやマニア、趣味人だけでなく、ふつうの人々のストレス解消や憩いの場になっていくだろうと考えてきた。ぼくが想像していた姿にだんだんパチンコ産業が近づいていた。

そして峰山町にいたころから、いまのマルハンの社訓にあるような「創意と工夫」「誠意と努力」「信用と奉仕」という基本理念を考えていた。

先端技術を使ったパチンコ機の登場は、新しい客層を大きく獲得していくチャンスだった。ぼくは女性に好まれる明るい色調の店舗デザイン、設計に力を入れていた。女性のお客さまを尊重する店舗づくりは、どの店よりも早かったと思う。

当時のパチンコ業界には、お客さまへの接客態度を良くするという発想はまるでなかった。うちは、いち早く接客マナ−をサ−ビスの中心に取り入れていた。それから従業員の身だしなみや店内のきちんとした清掃もお客さまへのサ−ビスだとぼくは考えていた。今でいうクリ−ンネスに、ぼくは当時からうるさく言っていた。

パチンコ店舗全体に清潔感をだす。それが本来のレジャ−産業がはたすべき努力だと思った。ぼくが予想したとおり、パチンコ台のハ−ド面と店舗のソフト面の両方が向上することで、お客さまの層がさらに厚く広くなっていった。

(つづく)

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