◆ボウリングの歴史◆

スロバキア・スピシュ城(12世紀初頭、タタ−ル人の侵略に備えて建てられた、全長約400m)
スロバキア・スピシュ城
(12世紀初頭、タタ−ル人の侵略に備えて建てられた、全長約400m)


2007.3
2007.2

●ボウリングは王室のスポ−ツだった

サン・ディエゴ博物館の管理責任者である、マルコム・ロジャ−ス博士の調査で、ポリネシア人は、初期の形式のボウリングをやっていた事をつきとめた。

その競技では、小型のだ円形の球と、直径3.5〜4インチの石製の円盤を使用していた。

そのユ−ラ・マイカと呼ばれる競技の1つの規則は、円盤を投げる所までの距離を60フィ−トとすることで、これは10柱戯の指定と全く同じである。

今日のボウリングの歴史と、その発達を深るため、その起源から少なくともそれが記録に残されている時点までさかのぼってみよう。

それ以外にボウリングが今日のほとんど完璧な形式に達するまでに経過したいくたの変化の意義と、その発展の重要性を理解するのはむずかしい。

文明の波が西へとおしよせていた頃、同時に遊びや、気晴らしの観念も、工業、商業、国々の征服などと結びついて、西へと広がっていった。

そして、これらの歴史がどんなに人類やその文明が高度に発達しょうと、遊びやスポ−ツは生活に欠かせないということを示している。

この古い歴史を持ったボウリングは、もともと王室のスポ−ツで、他の技術的な種々の競技では、このボウリングほど太古の時代まで、その歴史をたどる事は全く不可能である。

そして、数多くの王、王女、貴族達がこのボウリングを楽しんだに違いないのである。

初期の頃のボウリングは、貴族や上流階級の特定の者にしかすることができなかった。

なぜなら、全てのコ−トやレ−ンは、個人の私有であったからである。

(ABC“ボウリングの歴史”より掲載)

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