◆オリンピックと私◆
●スポ−ツは努力が報われる世界 小野 清子 氏(JOC副会長、東京都ボウリング連盟会長) 中学校の部活から始まった私の体操競技が、オリンピックに繋がることなど、だれ一人考えた人はいなかったと思うし、当然私自身もそうであった。高校に進学してバスケット部に入ってみたいと思い、勧誘の日、教室の前に立っていたら隣が体操部の部屋で“何やってるのこっちでしょう”と誘われて体操競技をやることになってしまった。何とも意志薄弱。 資質として小学校時代から踊るのが好きで動きの方はまずまずだったが、腕の力が全く足りず、ゆか運動、平均台、とび箱は普通であったが平行棒でけ上がりができるのに一年もかかったと思う。部員の人数不足から一年生で試合に出され、その不出来に恥ずかしい思いをしたことが、練習をしなければと、筋力トレ−ニングを考える切っ掛けとなった。体育館の1/3が体操部の使用する練習場所、この朝の掃除雑巾がけと、平行棒の朝練に力をいれるように心掛けた。翌年春のインタ−ハイ予選は力及ばず、夏休みに一人で平行棒だけ練習を続けた。何とか規定演技が続けられるようになった時、国体予選で思いがけないことに県代表4人の仲間入りが出来、自分でもびっくり、周囲もびっくりで山形県での国体初参加となった。 強豪能代北高、大館桂高校の存在に、私は力むことなく自然体で臨み、逆に相手側は重い責任感の中で失敗をしてしまった結果、個人優勝という又びっくりする結果も生まれ、これは間違いだと云う声に、私もそうだそうだと本当に当人失敗しなければそうだったろうと率直に思った。高校最後の国体予選も力むことなく演技し、又勝ってしまい二度目となると周囲は何も云わなくなった。気負いもなく少々の緊張感の中で競技ができたことは子供達を指導する上で大変勉強になったと思っている。又、剣道七段で育ての親である伯父が、試合当日、「清坊、勝と思うな」と云ってくれた事も成績にこだわらずに演技に集中できた事を有り難く思っている。 大学に入りインタ−ハイ出場選手5人の一年生と先輩一人で作ったチ−ムで東京教育大学女子体操部創立して初めてのインタ−カレッジで団体優勝してしまうという快挙を成し遂げた。何か運が良過ぎる競技生活の中で競技者としての甘さを反省する時がやって来た。(つづく) |