◆ボウリングの歴史◆

マルチン・ルタ− 1483−1546
マルチン・ルタ− 1483−1546


2007.8
2007.7
2007.6
2007.5
2007.4
2007.3
2007.2

●マルチン・ルタ−はボウリングを奨励した

マルチン・ルタ−は熱心なボウラ−だった。実際にいろいろと試してみて、彼は9柱戯が理想的なゲ−ムになると確信し、そして次のようなものがドイツにおける競技の基準として最終的に決定されたのである。屋内で行われる場合、ボ−ルはピンに向かって転がされた。屋外の場合、もし地面がでこぼこであるならば、プレイヤ−には、ピンに向かって、転がすか、投げるかを選ぶことが許されていた。

以下にあげるのは、A・L・グラブネル博士による有名な宗教改革者、神学博士マルチン・ルタ−の伝記の一節である。「数多くの務めの為、ルタ−はボウリング以外の娯楽には、ほとんど時間を割くことができなかった。だが、家族の中の若い者達のためには、喜んで娯楽を許したし、彼らのためにボウリングのレ−ンを作りさえした。そして折にふれては彼らが遊んでいる所を訪れ、また時には自分でもボ−ルを投げ、ボ−ルがあらぬ方向へ飛んで行ったりして彼らが笑うと、その笑いをも楽しんだ。今度は9つのピンを全部倒してみせるとも言うのだが、続いて投げると全部のピンを外してしまうのである」

ボウリングという娯楽は、広々とした芝生(グリ−ン)で行われたものにせよ、レ−ンの上で行われたものにせよ、中世に発明されたと見て間違いはあるまい。この競技が行われるようになった時期がいつかを正確につきとめることはできないが、少なくとも13世紀にまで遡ることができる。ボウルゲ−ムを描いた絵の中で最も古いのは、我々が知る限りでは、イギリス王立図書館所蔵のある稿本の中にある。その絵によれば、円錐形の物が2つ、少し離して立てられており、プレイヤ−たちは明らかにその的に向かって交互にボ−ルを転がしている。そして、ボ−ルを標的の最も近い所にとめたものが当選者となる。

中世からそれに続く時代にかけて、ボウリングはほとんど世界的なものであったし、ドイツにおいては特に人気があった。村のダンスの集まりや、洗礼式で、さらには地方の祭などで、ボウリングは重要な地位を占めていた。裕福な平民たちは彼らの地所や家の中庭にボウリングのレ−ンを持っていた。領主(貴族)たちの館の多くも主人が友人たちをもてなせるように、立派なレ−ンを備えていた。

(ABC“ボウリング”の歴史より掲載)

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