●オリンピックと私-3●

東京オリンピックでの演技
東京オリンピックでの演技


第3回
第2回
第1回

●失敗で気付いた競技者の心 小野 清子 氏(JOC副会長・東京都ボウリング連盟会長)

ロ−マのオリンピック大会では最終種目、跳馬の競技前3分間練習で、一人の選手の「滑べる」と云う一言で、皆が緊張した。踏切板への踏み込みが甘くなり、6人中3人が着地で失敗をし、3位の団体表彰台に片足登りかけたところで、4位に転落してしまった。「ひと言の言葉の重さ」これも大きな教訓になった。

スポ−ツから学ぶことの多かったこと、風俗習慣が違い、食事の内容、ベットの弛み、外国で実力を発揮することの難しさは数えきれないほどある。でもだから負けたではすまされない。どんな条件でも勝てなければ勝者としてメダリストにはなれないし、勝者とは総ての条件を飲み込んだ結果であり弁解など許される世界ではない。

アマチュアもプロも現在は境が無くなったが、競技はあらゆる面で努力したものが勝利を得る素晴らしい世界である。こんなに努力した私を貴方はさらに越えた、何と素晴らしい選手なんだろう、友情が芽生え、深まり、世界の青年達は、自分の能力の限界に挑みつつ相手を称えることを惜しまない。日本の選手の中には、オリンピックの理念や、戦った相手に対する敬意を表すことを知らない選手も多い。

快心の出来の演技をした後のインタビュ−で、これでこの前の試合を見返してやった、というコメントに、私は驚きと淋しさを感じた。技術と共に人間的成長をしていかなければ、スポ−ツの美と力の完成からはほど遠い方向へ行ってしまう。いずれその選手が指導者になっていくことを考えると、オリンピック憲章、理念の勉強、オリンピック・アカデミ−の果たす役割の大きいことを改めて認識するところである。

オリンピック教育という言葉は日頃あまり聞かれない。もっと学校教育に入れていかなければとJOAの会議では話し合うことが多いが、2016年の東京オリンピック招致を前にオリンピックとは“何か”を考え、その意義を学ぶ最高の機会として捉え、国民こぞって学校で家庭で、企業や社会で論じ合うことを提案したい。

スポ−ツが、正しく理解され、それぞれの生き方の中で、存分に活用され、人間性を高め、健康で豊かな人生の生活文化として歩み続けらけることを願ってやまない。(おわり)

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