●ボウリングの歴史●

2004年AIGオープン マリー・シャラポア(ロシア)
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●ボウリングがア−チェリ−の人気をおびやかす−1

法律のことに関していえば、ボウリングも他のスポ−ツと同じように圧制に耐えなければならなかった。エドワ−ド3世の親書(1366)には、国民の士気にとって非常に重大な役割をもつ弓の練習が、ボウリングの魅力と人気によっておろそかにされるのを、王が心配するようになったことが書かれているし、「石投げ」(ボウリング)は「恥ずべきであり、無用無益のゲ−ム」の一つとして挙げられている。これに促されて、議会はいくつかのゲ−ムをやめさせるような手段を講じたのだが、ボウリングも禁止された中の一つだった。

リチャ−ド2世の治政になっても、1388年にボウリングを禁止する法律は更新され、公共のレ−ンでプレイした者に対する罰則が定められたのだ。もっとも、個人所有のグリ−ンは、それ程厳しくは取り扱われなかった様である。法による禁止と罰則を招いたのは、当時の公共の競技場にはびこった悪徳なのであった。

その後、続く王の時代にも厳しい法令がしかれ、ボウリングは禁止された。この様な法律は、貧しい階級の者たちが、この最も魅力的な娯楽にひきつけられ、競技の結果に対する賭けに溺れて身を滅ぼさない様に制定されたものと思われる。当時の文学作品を読むとよくわかるのだが、ボウリングとか、スキットルゲ−ムの様な熟練を必要とする競技を賭けて行なうという悪徳は、その頃が英国を通じて一番とは言えないまでも、かなりはびこっていたのである。(つづく)

(ABC“ボウリング”の歴史より掲載)

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