●禅的生活のすすめ●
●予断を持たない生き方を 福聚寺副住職 玄侑 宗久(げんゆう・そうきゅう)氏 お寺の長男に生まれましたが、最初は坊さんになるのが嫌でした。でも反抗のためにも宗教を知らなくてはと思い、勉強した。様々な新興宗教も見て回った。自分の中の八百万が色々なことをやりたがり、大学時代にはナイトクラブのフロアマネジャ−、英会話教材のセ−ルスマン、工事現場の作業もした。方向性のない欲望に振り回されていましたね。 禅的生活とは言い換えれば、予断(*)を持たずに今の足場に立つということです。予断を持つから苦しみが生まれる。明日はこうなると思ってそうならなかったら、不愉快になるでしょ。先のことは分からないから面白い。何もかも予定通りに進む人生が楽しいでしょうか? 世の中は思うようにならないのが当たり前。そこに人生の妙味がある。想定外のことが起こると誰しも心が揺らぎますが、この揺らぎを昔の人は「風流」と呼んだ。揺らぎを楽しめる人こそ風流な人なのです。そういう心構えなら、困難があっても何とかなります。 今という一瞬を楽しむのが禅の考え方ですが、人間はコ−ヒ−を飲むというような目先の目標では飽きたらず、その先を目指す。優しい人になりたいという大きな目標もあれば、いい学校に入りたいとか仕事の業績を上げたいという中期目標もある。厄介なのは中期目標です。これが人間の生き方を人工的にし、不安な気持ちにもさせる。 私も若い時は中期目標で苦しみましたが、今は目先のことと、はるかな目標だけを持つようにしています。現役時代はそうもいかないでしょうが、定年後のシニアの人にはこうした生き方を勧めたい。これが何の役に立つのかなどと考えず、すること自体を楽しんでほしいですね。 死んだらどうなるかなんて心配しなくていい。なるようになります。予断が苦しみを生むのです。 *予断 前もって判断すること |